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2022年5月14日 (土)

「聖大公」ウォロディーミル1世

本日付日経新聞コラム記事「王の綽名」(作家・佐藤賢一)からメモする。

東スラヴ人の国家、キーウ公国のリューリク朝だが、始祖となったリューリクはノルマン人で、つまりはヴァイキングだった。最初は北方、バルト海から内陸に入るノブゴロドに拠点を構えたが、それを9世紀末、オレフ公のときに、ドニエプル河沿いを南に進んだキーウに移した。このキーウ公国、さらに大公国の最盛期をなしたのが、ウォロディーミル1世(在位978~1015年)である。

988年、大公は東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)バシレイオス2世に援軍を頼まれた。ウォロディーミルは、そのかわり皇帝のアンナと結婚したいと申し入れ、キリスト教徒になると告げて、クリミア半島にある皇帝の拠点、ケルソネソスで洗礼を受け、そのまま皇女アンナと結婚、意気揚々とキーウに戻ると、以後はキリスト教を国教にするとも宣言したのだ。

このキリスト教だが、ギリシャ正教である。キリスト教を受け入れたウォロディーミル1世のキーウ大公国は、西ヨーロッパにおけるフランク王国に相当する。5世紀と10世紀で時代は大きく違うが、歴史の流れに占める位置としては、始祖クロヴィスがカトリックの洗礼を受けたメロヴィング朝と、全く同じなのである。

これがゲルマン世界の本流なら、スラヴ世界の本流はキーウ大公国である。この国こそ現在のウクライナの原型であり、モスクワなど亜流にすぎない、ロシアなにするものぞといった気概も、俄かに頷けるものとなる。

ところが、ロシアの側にいわせると、ウォロディーミル1世の時代には、モスクワそのものがなかった。モスクワ公国の成立が、ようやく13世紀のことで、大公になったのが14世紀、これがロシア皇帝を称するのが15世紀なのである。聖大公は後に発展する全ての東スラブ人、ギリシャ正教を受け入れた全ての民のルーツなのだということで、名前も人気だが、ただロシア語では「ウラジーミル」になる。ロシア大統領プーチンの名前がウラジーミルな通りだ。が、これに断固立ち向かうウクライナ大統領、ゼレンスキーの名前もウォロディーミルなのだ。

・・・ロシアとウクライナは「兄弟国」と聞くと、大国ロシアが兄かと思うが、歴史から考えれば年長のウクライナが兄、ロシアは図体のデカい弟というところか。「同名」の大統領を戴く「兄弟国」の対決は、今のところ決着が見えない。

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2022年5月11日 (水)

ツイッターは有名人のツール

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事(ツイッターは派手な「劇場」)から、以下にメモする。

米起業家のイーロン・マスク氏がツイッターを買収したとの発表に対する一部の反応をみると、マスク氏は世界そのものを買おうとしているかのように受け止められている。

ツイッターは世界そのものではない。一部のジャーナリストやマスク氏のような大人げない億万長者、言動が子供じみたトランプ前大統領などは取りつかれているようだが、大半の人はツイッターで起きていることをあまり気に留めていない。
ツイッターはフェイスブックやユーチューブと並ぶ、巨大ソーシャルプラットフォームだとみられているが、こうしたサイトはアクティブユーザーが数十億人いるのに対し、ツイッターは2億2900万人しかいない。その大半は投稿を閲覧するだけで発信しないユーザーだ。

マスク氏のみならず他の人も頻繁にツイッターを広場にたとえるが、これは間違いだ。
ツイッターでは地位がすべてだ。大多数の人のツイートは誰にも見られることはない。
実のところ、ツイッターは街の広場ではなく劇場だ。そこでは誰もが最大280文字の脚本を慎重にリハーサルし、見られていることを意識しながら観客に向けて演技する。これに対し観客は演技者にやじを飛ばす、あるいは直接話しかけることができる。

ツイッターで最も頻繁に発信するユーザーたちが、その未来をこれほど懸念する理由は、何年もかけて集めてきた注目を失いたくないからだ。俳優が名声を失いたくないように、ツイッターのユーザーも、注目と社会的地位を失いたくないというのが本音だ。

・・・ツイッターでは地位がすべて、という意見に同感。所詮ツイッターは有名人がやるもの、有名人が自分のファンに向けて発信するためのツールだろう。だからツイッターに関して「言論の自由」云々と言われても、それは有名人の言論の自由ということになるから、何だか付いていけない感じがするのである。

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2022年5月 9日 (月)

プーチンの戦争の行方

今日のロシアの「戦勝記念日」におけるプーチン大統領の演説では、「戦争状態」宣言など新たな展開を示す言葉は語られなかった。一方で、ウクライナとの戦争を止める気配も皆無。ということで現状ロシアの苦戦が伝えられる中、敗北を回避しつつ戦争を終わらせるために、ロシアが限定的に核兵器を使う可能性も消えていない。「文藝春秋」5月号掲載「徹底分析プーチンの軍事戦略」(小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター専任講師)から、以下にメモする。

プーチンがウクライナでの戦争を簡単に終わらせるとは考えられません。現状、ウクライナへの全面侵攻によって、ロシアに何か特別な利益がもたらされたとは思えない。

こうなると従来は心理戦だと考えられてきたエスカレーション抑止戦略が、突如として現実味を帯びてくる。限定的に核を使用し、ロシアにとって有利な形で戦争を終わらせようとするのではないかという可能性が高まってきたのです。

※エスカレーション抑止:戦争に負けそうになったら、一発だけ限定的に核を使用する。その核の警告によって相手に戦争の継続を諦めさせる、あるいは、ロシアにとって受け入れ可能な条件で戦争を停止させることができると考える。

ロシアの限定核戦争にどう対応するかは、その時の指導者や国民の気分次第です。使用した場所がウクライナ域内だったとしても、アメリカがロシアの無人地帯に向けて、核での報復を行う可能性はあります。

そこから先は、不確実性に不確実性を積み重ねていく世界です。どこまでエスカレートするかは、神のみぞ知る。なにしろ核のボタンを握っているのはあのプーチンです。彼の精神状態が良くない方向に嵩じて行けば、全面核戦争に踏み込んでもおかしくはない。
仮に「ロシア対アメリカ・NATO」の全面核戦争に発展した場合、日本も無関係ではいられません。

ロシアの軍事思想を踏まえると、彼らは有事の際には、アクティブ・ディフェンス(攻撃的な防御)の構えをとる。攻撃を受ける前に敵の戦力発揮能力を破壊する行為が防御のうちに含まれているのです。となれば、ロシアは確実に日本の米軍基地を狙ってきます。つまり、このウクライナ戦争は日本にとって対岸の火事ではない。

日本も含めた国際社会に求められるのは、ロシアが核使用までエスカレートする前に、プーチンとゼレンスキーを交渉のテーブルにつかせること。プーチンの最低限のメンツを保ちつつ、かつウクライナの主権を奪われない形でなんとか話を妥結する必要があります。

・・・とにかく両国の大統領の会談が実現しなければ、戦争を終わらせて和平に向かうプロセスの入り口にも立てない。そして今のところ、その入り口すら遠くて見えない状況というほかはない。

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2022年5月 8日 (日)

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近代ドイツ哲学の巨人カントと、現代フランス思想の大家ラカン。一見、何の繋がりもないように見えるが、講談社現代新書『現代思想入門』(千葉雅也・著)によれば、二者の「認識論」には共通するものがあるという。以下に同書からメモする。

時代は18世紀末、カントは『純粋理性批判』において、哲学とは「世界がどういうものか」を解明するのではなく、「人間が世界をどう経験しているか」、「人間には世界がどう見えているか」を解明するものだ、と近代哲学の向きを定めました。

人間に認識されているものを「現象」と言います。現象を超えた、「世界がそれ自体としてどうであるか」はわからない。それ自体としての存在を、カントは「物自体」と呼びました。
人間はまず、いろんな刺激を「感性」で受け取って知覚し、それを「悟性」=概念を使って意味づける。この感性+悟性によって成り立っている現象の認識では、物自体は捉えていません。しかしそれでも物自体を目指そうとするのが「理性」である。感性、悟性、理性という三つが絡み合うのがカントOS(WindowsやMacOS) です。

ラカンは大きく三つの領域で精神を捉えています。第一の「想像界」はイメージの領域、第二の「象徴界」は言語(あるいは記号)の領域で、この二つが合わさって認識を成り立たせている。ものがイメージとして知覚され(視聴覚的に、また触覚的に)、それが言語によって区別されるわけです。このことを認識と呼びましょう。第三の「現実界」は、イメージでも言語でも捉えられない、つまり認識から逃れる領域です。この区別はカントの『純粋理性批判』に似ていないでしょうか。実はラカンの理論はカントOSの現代版と言えるものなのです(想像界→感性、象徴界→悟性、現実界→物自体という対応になっている)。

このようなX(捉えられない「本当のもの」)に牽引される構造について、日本の現代思想では「否定神学的」という言い方をします。否定神学とは、神を決して捉えられない絶対的なものとして、無限に遠いものとして否定的に定義するような神学です。我々は否定神学的なXを追い続けては失敗することを繰り返して生きているわけです。

ラカンにおける、現実界が認識から逃れ続けるということが、否定神学システムの一番明らかな例なのです。
カントまで遡るなら、否定神学的なXは「物自体」に相当すると言えます。
否定神学システムとは、事物「それ自体」に到達したくてもできない、という近代的有限性の別名なのです。

・・・カントとラカン、その認識論の構図は相似形であり、「否定神学的」アプローチも共有している。とりあえずラカンの例であるが、近代批判の色濃い現代思想といえども、近代哲学を承継している部分を見出すことができるというのは、とても面白いと感じる。

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2022年5月 7日 (土)

ディオニュソス対アポロン

講談社現代新書『現代思想入門』(千葉雅也・著)から、以下にメモする。

哲学とは長らく、世界に秩序を見出そうとすることでした。混乱つまり非理性を言祝ぐ挙措を哲学史において最初にはっきりと打ち出したのは、やはりニーチェだと思います。

『悲劇の誕生』(1872)という著作において、ニーチェは、秩序の側とその外部、つまりヤバいもの、カオス的なもののダブルバインドを提示したと言えます。古代ギリシアにおいて秩序を志向するのは「アポロン的なもの」であり、他方、混乱=ヤバいものは「ディオニュソス的なもの」であるという二元論です。

ギリシアには酒の神であるディオニュソスを奉じる狂乱の祭があった。アポロン的なものというのは形式あるいはカタであって、そのなかにヤバい(ディオニュソス的)エネルギーが押し込められ、カタと溢れ出そうとするエネルギーとが拮抗し合うような状態になる。そのような拮抗の状態がギリシアの「悲劇」という芸術だ、というわけです。

この(アポロンとディオニュソスという対立の)図式は、哲学史的に遡ると、「形相」と「質料」という対立に行き着きます。要するにかたちと素材ですね。かたちは秩序を付与するものであり、素材はそれを受け入れる変化可能なものです。この形相と質料の区別がアリストテレスにおいてまず理論化されました。あくまでも質料は形相の支配下にあります。

ところが、ずっと時代を飛ばしますが、ニーチェあたりになると、秩序づけられる質料の側が、何か暴れ出すようなものになってきて、その暴発するエネルギーにこそ価値が置かれるようになります。つまり、形相と質料の主導権が逆転するのです。

・・・ニーチェの「アポロンとディオニュソス」が、アリストテレスの「形相と質料」以来の哲学的伝統に連なる概念として位置づけられると共に、ニーチェにおいて秩序優位から非秩序優位への逆転が行われたとする著者の見方は、とても興味深いものに思われる。

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2022年5月 5日 (木)

ドゥルーズの元気になる思想

ポストモダンと言えば、批判的思想としてはとても魅力的だったけど、結局は相対主義に陥り建設的な思考は打ち出せないまま消えていった、という印象が強いかもしれない。それだけに、今改めてポストモダン思想を考える時には、そのポジティブな面を取り出すことが肝要なのではないかと思う。以下に、講談社現代新書『現代思想入門』(千葉雅也・著)からメモする。

ポストモダン思想、ポストモダニズムは、「目指すべき正しいものなんてない」、「すべては相対的だ」、という「相対主義」だとよく言われます。
確かに現代思想には相対主義的な面があります。ですが、そこには、他者に向き合ってその他者性=固有性を尊重するという倫理があるし、また、共に生きるための秩序を仮に維持するということが裏テーマとして存在しています。いったん徹底的に既成の秩序を疑うからこそ、ラディカルに「共」の可能性を考え直すことができるのだ、というのが現代思想のスタンスなのです。

1980年代の日本では、べストセラーになった浅田彰『構造と力』の影響もあり、ドゥルーズ、およびドゥルーズ+ガタリが注目されました。
80年代、バブル期の日本におけるドゥルーズの紹介は、時代の雰囲気とマッチしていました。資本主義が可能にしていく新たな関係性を活用して、資本主義を内側から変えていくという可能性が言われた時代です。
有名な概念ですが、横につながっていく多方向的な関係性のことを、ドゥルーズ+ガタリは「リゾーム」と呼びました。

リゾームはあちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることもある。つまり、すべてがつながり合うと同時に、すべてが無関係でもありうる。
ドゥルーズおよびドゥルーズ+ガタリでは、ひとつの求心的な全体性から逃れる自由な関係を言う場面がいろいろあって、自由な関係が増殖するのがクリエイティブであると言うのと同時に、その関係は自由であるからこそ全体化されず、つねに断片的でつくり替え可能であることが強調されます。全体性から逃れていく動きは「逃走線」と呼ばれます。

あらかじめ「これが最も正しい関係性のあり方だ」という答えが決まっているわけではありません。すべての関係性は生成変化の途上にあるのです。
そういう意味で、接続と切断のバランスをケース・バイ・ケースで判断するという、一見とても当たり前で世俗的な問題が、ドゥルーズにおいては真剣に、世界とあるいは存在とどう向き合うかという根本問題として問われているのです。

ドゥルーズ+ガタリが考えているのは、ある種の芸術的、準芸術的な実践です。自分自身の生活のなかで独自の居場所となるような、自分独自の安定性を確保するための活動をいろいろ作り出していこう、と。いろんなことをやろうじゃないか、いろんなことをやっているうちにどうにかなるよ、というわけです。ドゥルーズ+ガタリの思想は、そのように楽観的で、人を行動へと後押ししてくれる思想なんです。

・・・1978年生まれの千葉先生は、難解な現代思想をきれいに整理していて、80年代に20代だった自分から見ても、当時訳の分からないまま丸飲みしていた言葉の意味するところについて、「そういうことだったのか」と教えられることが多い。本を読みながら、当時の浅田彰の「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」とかドゥルーズ的な「逃走」、ラカン的な「最初に過剰があった」、あるいは岸田秀の「人間は本能が壊れた動物」とか思い出しました。

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2022年5月 4日 (水)

アトムよりも鉄人28号

今月の日経新聞「私の履歴書」執筆者はマンガ家の里中満智子。本日第4回の内容から以下にメモ。

7歳になるころ、書店で、好きな雑誌を選んでよいと言われたので、何冊かパラパラめくっていたら、創刊されたばかりの「なかよし」に載っていた「とんから谷物語」が目に入った。手塚治虫先生の連載である。ダム建設で故郷を追われる生き物たちを描いた漫画で、環境問題を扱った先進的な作品だ。当時の私には、美しい絵と物語だけでも十分に魅力的だった。

小学2年になると、貸本屋に通い始めた。ほぼ毎日雑誌か単行本を借りていた。
「あしたのジョー」のちばてつや先生や、「仮面ライダー」「サイボーグ009」などの石森(後に石ノ森に改名)章太郎先生も、はじめは少女漫画を描いておられ、私はリアルタイムで読んでいる。

ことに熱中したのは「鉄腕アトム」だ。後年、アニメでも大ヒットする手塚作品だが、私の記憶では連載当時、同級生男子には横山光輝先生の「鉄人28号」の方が人気があった。少年の操縦で巨大ロボットが敵を倒す痛快な物語に比べて、アトムは、くよくよ悩む。敵がなぜ悪者になったかを考え、背景にある人間の黒い欲望に気づく。敵に負けたり、人間にいじめられたりすることもある。
そんな姿に感情移入して「今月のアトム、泣けたよね~」と同級生男子に言っては、けげんな顔をされていた。彼らには、アトムは暗すぎたのだ。けれど私は「こんなとき、アトムならどうするか」と考えて行動を決めるほど思い入れが強かった。

・・・当時の男の子の鉄人人気は、自分も大いに頷けるものがある。自分も、アトムより鉄人の方が好きだった。その理由を考えたことはなかったが、里中さんの文を読んで、確かにアトムは暗いというか、少々鬱陶しい印象はあったかもしれないと思う。確かアトムに「ロミオとジュリエット」を下敷きにした話があって、それを子供の頃読んだ時、結末部分で何とも得体の知れない気持ち悪さを感じたことを覚えている。その一方で、「地上最大のロボット」(プルートウ!)は、わくわくぞくぞくしながら読んでいた。実際、人気作品だったらしいので、たぶん男の子は、この話が大好きだったんじゃないだろうか。

里中さんが熱中したことを考えると、確かにアトムには少女漫画テイストが結構含まれていたのかも、と思ったりする。

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2022年5月 3日 (火)

映画「気狂いピエロ」

ジャン=リュック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」が、リバイバル上映中。主演はジャン=ポール・ベルモンド。なので、昨年死去したベルモンドの追悼上映、らしい。自分がこの映画を観たのは1983年のリバイバル上映。ラストシーンが強烈だった。それ以外は覚えていない(苦笑)。今回、39年ぶりに鑑賞。

お話は掴みどころのない、とりとめのない展開だし、リアリズムで映像を作っているわけでもなく、基本、引用だらけの独白小説ならぬ独白的映画。とりあえずベルモンドのしなやかな身のこなしと、アンナ・カリーナの思わせぶりな眼差しにより、映画として成立している。のか。
結局やっぱりラストシーンが強烈。しかし最後のランボーの詩の訳が昔と違うような・・・「太陽と共に去った海」?・・・記憶にあったのは小林秀雄訳の「海と溶け合う太陽」なのだが・・・。900円を出して買ったパンフレットに、その辺の事情が書いてあった。やっぱりお金を出さないと得られない情報もある。

パンフレットに載っていたのは、翻訳字幕を作った寺尾次郎氏(1955-2018)が書き遺した話。それによれば、ラストシーンで語られるランボーの詩は「地獄の季節」の一節ではない。新訳を手掛けた時に、寺尾氏は「発見」したという。以下にパンフレット掲載文からメモする。

『気狂いピエロ』の、あまりにも有名なラストシーンに2人が語るランボーの「地獄の季節」の一節、「また見つかった/何が/永遠が/太陽と共に去った海が」。映画で引用されたこの詩が、「地獄の季節」(1873年)の中の「ことばの錬金術」とは異なる異句(題名は「飢餓」)であることを、恥ずかしながら初めて気づいた。僕が当時見た字幕の記憶では「海と溶け合う太陽」という「地獄の季節」の小林秀雄訳に近いものだったと思うのだが、今回、翻訳し始めて原文が違うので調べたところ、なんとランボーがその1年前の1872年に書いた「永遠」という詩のほうだった。

・・・うーん、そうなのか。しかし「地獄の季節」ではないと言われても、何かビミョーな気分。小林秀雄訳がカッコイイせいからか。やっぱり「海と溶け合う太陽」で良いような気がしてしまう。(苦笑)

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2022年4月30日 (土)

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本日付日経新聞読書面の記事「活字の海で」(企業のあり方を問い直す 持続可能な社会実現に役割)から、以下にメモする。

持続可能な社会を実現するために、企業が担う役割は大きい。「パーパス」と呼ばれる存在意義を自らに問い、打ち出す。株主第一主義から、幅広いステークホルダーのための経営への移行が企業に求められている。

企業のあり方に関する議論は、19年に米国の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、株主第一主義からの転換を掲げたことが大きな節目となった。近年は日本企業の間にも、自社のあり方を見直す動きが相次ぐ。21年6月に改訂された、東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)が、サステナビリティーを巡る課題への取り組み強化など、ESG(環境・社会・企業統治)を重視する姿勢を打ち出したことも追い風だ。

ただ、欧米企業が行き過ぎた株主第一主義への反省から、会社の本質論の転換を迎えているのに対し、日本企業はそもそも資本効率を高めて株主に対する責任を果たすという目標すら、達成道半ばだ。今後は、経営の効率化を図りつつ成長を促進し、さらに環境や人権問題などの社会的課題解決にも貢献するという、高いハードルをクリアしなければならない。

・・・近年、株主第一主義の修正が唱えられてはいる。が、日本企業については、株主主義による資本効率向上が十分な成果を挙げたとは言えないだけに、株主第一主義の弊害を十分に意識しつつも、今しばらくは株主主義による資本効率向上に向けた取り組みを続行する必要があるように思われる。

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2022年4月29日 (金)

「兵馬俑」と「ポンペイ」in京都

今月21日から、京都市京セラ美術館で「ポンペイ展」が始まっている。会期は7月3日まで。同じ美術館で「兵馬俑と古代中国」展も開催中。こちらは5月22日まで。つまり5月22日までは、同じ場所で「ポンペイ」と「兵馬俑」を観れる。名古屋に巡回する予定はというと、「ポンペイ」は来ないし、「兵馬俑」は9月とまだ先。というわけで、行動規制のないゴールデンウィークの初日、雨になりましたが京都まで行ってきました。

「ポンペイ」も「兵馬俑」も、日本で時々展覧会やってると思うけど、自分はポンペイ展は12年ぶり2回目で、兵馬俑展は初めて観た。

死者を守るため、死者と共に埋葬された人や馬の像である兵馬俑。と言えば、もちろん秦の始皇帝陵の兵馬俑となるのだが、今回の兵馬俑展では、その前後の時代、つまり前は春秋戦国、後は漢の時代の兵馬俑も紹介されている。そして前後の時代の兵馬俑の造形はミニチュア人形のレベルであり、等身大でリアルに造形している兵馬俑というのは、実は始皇帝陵のものだけだ。ということが了解できる展示になっている。このほか、春秋戦国時代を描いたマンガ「キングダム」のコーナーもありました。

ポンペイ展では今回、アレクサンドロス大王の描かれたモザイク画(レプリカ)が床面に展示されている。これは実際の当地の住居跡でも談話室の床面を飾っていたとのこと。大王の「肖像」として、世界史の教科書にも載ってるやつね。一部剥がれちゃってるわけだが、大王の顔の部分が残っていて良かったなぁという感じです。

ショップで販売してるグッズには、マンガ家のしりあがり寿のイラストを使ったTシャツや手ぬぐいなどもありました。人物の胸像を載せた柱に、パンツを履かせるというイラストが面白い。あの「柱型肖像」は確かに妙なセンスだなと思うので、これはネタにしたくなるよなぁ。

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